児童精神科へ、モヤモヤが残る(2017年5月)
2017年5月16日(火)22:12 2
コムギの問題(7歳)
「児童精神科へ、失敗?(2017年5月)」の続きです。
ひさしぶりの受診でしたが、
何だかモヤモヤする気持ちが残ってました。
15分という限られた時間なので
聞きたい事の半分も聞けてない状態というのもありますが
それだけじゃない何だかスッキリしない気持ち。
これまでと違って今回は「これだ!」という対策法が得られてないのもありますが
(簡単に改善出来る問題じゃないので)
そのひとつの原因は、誤解されてしまった事だと思います。
私は言葉で伝えるのがヘタクソなので
多方面で誤解される事が多いです。
「いや、そんなつもりじゃないんだけど」という事が
これまで数えきれないぐらいいろいろな場面でありました。
今回の受診時も「いきいき」でのトラブルの話をしてた時に
どうやら誤解されてしまったようで…
「いきいき」の指導員さんは素人なので
頭ごなしに否定したり強要してしまう事も多くて
コムギが泣きわめいて数十分話が出来ない状態になる事も多いという話をした時、
「そこはな、批判してもしゃーないわー。『迷惑かけてすいません』って言っときー」
みたいな事を言われました。
決して批判はしてません。
実際、そこは仕方ないと思ってるし
これまで特別な対応を要求した事もなければ今後そういった要求をする気もないし
迷惑を掛けて申し訳ないと思ってるのが本音です。
実際「ご迷惑をお掛けしてすいません」という態度でやってきてます。
事実としてこういう状況だと伝えただけのつもりでした。
でも先生には愚痴に聞こえたんでしょうね。
この時は「批判してないし、申し訳ないと思ってる!」と心の中で反論したけど
不満に思ってしまってるのは事実なのでそういう感情が出てしまってたのかな。
「こうしてくれたらマシなのに」と思ってるのは事実で
心の中では不満を募らせてます。
発達障害に詳しい専門家なら同調してくれるという甘えもどこかであったのかもしれません。
この事からじっくり考えてみました。
児童精神科の先生は専門医であって母親のグチを聞く人ではありません。
うちはコムギ自身が何も困ってない事から
母である私の相談がメインになってますが
本来は子供の問題行動や心理を診てくれる場所。
真剣に考えてくれるし、とてもいい先生です。
親より子供の味方だと感じてます。
もし今後コムギが悩んだ時に
自分で頼ってくれたらいいな、と思える先生です。
じゃあ何で煮え切れない気持ちが残ってるのか…
これは私が「聞いてほしい!」という強い気持ちがあるせいかも、と思いました。
「聞いて欲しい」「同調してほしい」という気持ちの表れと
話を聞いてもらう人がいない不満からくるものというか。
あと、先生はいい先生ですが、男性です。
子育てをする母の気持ちは専門外なので
女性特有の返答は当然得られません。
病気や障害での問題行動はしっかり対処してくれますが
「大きな問題ではないけど母親として困る部分」というのは優先順位が低いように感じたのが原因だと思います。
「問題行動を改善する為の場所」と
「話を聞いてもらう場所」の2つがあればいいんでしょうね。
同じような境遇の仲間がいれば一番いいんだと思いますが
あまり多いタイプではないのでそんな都合よくいるわけもなく…
何だかんだで「聞いて欲しい」という気持ちが先行してしまってると自分で感じました。
いわゆる「かまってちゃん」というか。
私自身しっかりした大人にならなければ…と思います。
でも実際のところは立派な人間だけではないと思います。
子供がこういった問題を抱えてる場合、
親御さんも何かしらある人が多いと感じてます。
発達障害の子供を持つ方で愚痴り合う友人がいない方は
一体どうやってやり過ごしてるんでしょう…
どこに吐き出すのが一番いいのか悩みどころです。
支援級のお母さんと話す機会とかあればええんかなーとおもたり。
ウチの子の支援級はOBも含めLINEグループも作ってて定期的に集まっては相談したり、日々起こる事言い合ったり障害のタイプに関係なく関わりがあるから、逆に視野も広くなれるかな?とおもたり。
>マリリン
そういう繋がりがあってほんとにうらやましい。
他学年の事はまったくわからんけど、2年生で支援級を利用してるのは2人。
そのうち1人のママさんからはどうやら嫌われてるっぽく(同じマンション)、
もう1人は前に某バイキングで会った子。
その子は保育所が同じやったから数年前から面識はあるけど
親御さんが日本人じゃなくて話をしてもいろいろ感覚が違う…
(しょっちゅう顔を合わせてたのに娘の顔をシャベルで殴った時すら謝罪の一言もないし)
そもそも学校生活では「賢い」と見られる事も多いから
支援級のママさんからしたら「部外者」でしかないと思ったりもする。
何においても中途半端やねんな。
健常児にも障害児にも属せない感覚。