大人に近づいてきたと感じた
2021年2月5日(金)20:40
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コムギの日常(5年生)
新学期が始まって数日後に旗当番がありました。
この当番は新学期の初めに一度だけ回ってくるのですが
そもそも登校班での登校だし指定場所を通るのはうちの登校班しかいないので
交差点で待機しておく意味はありません。
結局ほとんどの保護者が登校班に付いて歩いてる感じです。
旗はくるくる巻かれて輪ゴムで止められてる状態ですが、
実は広げたことがありません…
で、今年度はコムギが登校班の班長なので先頭なんですが
後ろからボーッと眺めてたら「成長したなぁ」としみじみ感じました。
5年生にしては小さくて細いのに何だか大人びて見える。
班長を先頭に小さい学年から順番に並ぶ為、真後ろが1年生だというのもあると思います。
ユッチと仲のいい3年生男子2人より5年生のコムギの方が小さいものの、体全体のフォルムは年上に見えるんですよね。
コムギは体重も身長も下のほうだけど低学年には見えないというか。
顔も最近大人びてきたと感じます。
コムギより体が大きい3年生でも、やはり顔は3年生らしい幼さがあります。
1年生の頃は大きいと感じたランドセルもいつのまにかちょうどいいサイズ。
そりゃ来年卒業なんだから当然なんですが、
ランドセルを背負ってる姿自体は日ごろから目にする機会はたくさんあるものの
いつもバタバタしてるのでじっくり見たのは数年ぶりかもしれません。
そういえば話をするのも大人同士の会話に近づいてきたと感じる事があります。
もともとユッチより話がわかるタイプではあったけど
最近はユッチが寝た後に時々ユッチの前ではできない話をする事もあったり。
ユッチはコムギより的確に説明する事ができるけど
コムギより言葉が達者なだけで中身は幼いです。
とはいえ、コムギは説明がヘタクソでいまだに大人に助けを求める事やきちんと説明する事ができないので
どちらも状況次第で助かったり困ったりと一長一短でどちらが良いとは言えないですが。
コムギはすぐワーッとなるので、そうなるとまともに話すらできないのは相変わらずだけど
冷静な時はずいぶん大人に近づいてきたなぁと感じます。
コムギは放課後デイや地下鉄の無料乗車証を利用しているので
本人には「人と違う部分がある、困ってる部分がある」という程度の説明はしていますが
「物事がわかるようになったけどまだ思春期に差し掛かってない今」がカミングアウトの時期なのかな、と最近考えています。
思春期に荒れる事が予想されるタイプなので、そうなるとおそらく聞く耳は持たないし自己否定に繋がり兼ねない。
でも中途半端なタイプなのでどう話すか悩みます。
本人は別に何も困ってないしな。
まぁ、これについてはまた別で書こうと思います。
子どもが小さい頃の成長というのはうれしい気持ちしかなかったけど
小学校高学年になるとさみしさを感じるようになりました。
5年生にしては幼い部分(というか母への依存?)があるので
いまだにベッタリ甘えてくる事も多く、一緒にいたがる事も同学年の子より多いほうだと思うけど
子ども同士の世界も出来ていて休日は別々に過ごす事が多くなりました。
もう手をかける時期は終わったんですね。
あとは見守るのみでしょうか。
というさみしさもあるけど、これからどんどんお金がかかるよな~というおぞましさをひしひしと感じています。
来年の今頃は中学校の入学準備もあるし、きっと高校受験までもあっという間。
コムギのまわりの子はほとんどスマホなのでいつまでもキッズケータイというわけにもいかないなぁとも思っています。
というのも、キッズケータイはインターネットが使えないので友達とのメールのやりとりはSMS。
通話料がかかるんですよねぇ。
なので、最近はもうLINEのほうがいいやん…と思い始めてます。
文字数制限もあるので親子間のやりとりも不便だし。
画像も送れないし、コムギのキッズケータは絵文字すら使えません。
(たった2年の差だけどユッチのキッズケータイは絵文字が使えます)
これまでコムギには散々悩んできたし、今もいろいろ問題があるけど
今度出てくる問題は小さい頃の比ではないと思っています。
こうやって親も成長していくんでしょうね。
今思うと乳児期や幼児期の問題なんて取るに足らない事だけど
あの頃は公的機関に助けを求める程いっぱいいっぱいでした。
今度も助けを求めながらやっていくんだと思いますが
問題が変化するごとに親も成長していってるということでがんばっていこうと思います。
ひとつひとつクリア。
ゲームだとでも思おうかな。
レベルが低い頃に苦戦した中ボス的なものも
ずっとがんばってレベルが上がれば雑魚になる的な。
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