【過去のブログから】父の脳梗塞、経過
閉鎖した前のブログに書いてた「父の最期」を
こっちのブログに残しておこうと思います。
(父は2014年10月20日に脳梗塞で亡くなりました)
ヘタに手を加えたくないので子供の名前以外は当時の投稿そのままです。
時系列がおかしい部分もありますがご了承ください。
【過去のブログから】父の脳梗塞、経過★この投稿です
【過去のブログから】父親の死
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台風19号が来てた13日の体育の日、
晩ご飯を食べ終わって寝室に放置してた携帯を見ると
ステータスバーに着信、留守電、メールの通知が出てました。
着信は母から。
これは何かあったな、と察知しながら次にメールを見たら
父が脳梗塞で入院したという内容でした。
肝心の容態は書かれていない。
さすが母…(-“-;)
しかも緊急連絡先を私にしたとだけ書かれててさっぱり意味がわからない。
直接聞く方が早いと思ったので留守電を聞かずに電話したら
現時点で命の危機というわけじゃない事を知って
とりあえずホッと脱力しました。
メールに書かれてた「緊急連絡先」というのは
病院の書類に私の名前&電話番号を書いたという事だったけど
母のメールの文章がおかしくて
何を言ってるのかわからんかったのです…
母の話では、とりあえずICUには入ってるけど
意識はあってかろうじて意思表示は出来るし
そのうち一般病棟に移ってリハビリして退院という流れ。
面会は20時までという事もあったし
台風は来てるし、命が危ない状態じゃないので
「明日行くわ~」と電話を切りました。
その時の時間は19時40分頃。
台風がちょうど大阪の真上にいる時でした。
そして翌日14日、15時で早退させてもらう予定でいつも通り仕事をしてました。
ICUは15分しか面会出来ないので
少し面会してそのまま子供たちのお迎えに行くという流れのつもりで。
そしたら昼過ぎに母から電話があって
緊急で手術をすることになったと聞かされました。
そのまま会社を早退して病院に行くと
完全に意識がない状態の父が。
でも自発呼吸はあるし、酸素も使ってないし
時々手足も動いてました。
その時の状態は、脳梗塞が原因で脳が腫れてるという事。
そのせいで髄液が流れなくて水頭症になってる事。
このままじゃ危ないという事でした。
この時病院に来てたのは母と私と父の妹夫婦の4人。
とにかくしゃべりました。
何時間も。
私は率先してしゃべるタイプじゃないけど
いろんな話をしたし、いろんな話題を振りました。
16時半に始まった手術が終わったのは何時頃だっただろう…
面会出来たのは22時をまわってたと思う。
手術の内容は、髄液排出の為のチューブを前頭部から入れたのと
腫れて圧迫されてるのを解放するために
後頭部の頭蓋骨を一部外したというものでした。
あくまでも応急処置的な感じ?
終わってしばらくして担当医から話を聞いたけど
危ない状況には変わりない事と
脳の腫れがどうなるかがカギだという事、
最低でも落ち着くまでに4~5日はかかるし、
今晩乗り越えられない事もありえるという話でした。
後遺症が残るのはほぼ確実という話もあったかな…
元々脳梗塞の場所は小脳だったけど
脳が腫れてきたせいでいろいろ影響していて
腫れがどうなるかが最大の問題でした。
もちろんお医者さんも想像がつかない部分。
手術直後に医者から深刻な話を聞くなんて経験は初めてで
何だか現実とは思えない感覚でした。
どうにか今が腫れのピークであってほしい…
でもまだどこか「大丈夫だろう」という気持ちがありました。
手術後はしばらく薬で眠らせるのもあって人工呼吸器を使ってたけど
手術前は意識はないものの自発呼吸はあったんだし
お医者さんというのは悪い事しか言わないもんだと思ってたので。
もうゴルフ三昧の生活は出来ないだろうけど
のんびりリハビリがんばってくれりゃいいやー。
もし体が動かなくなってしゃべれなくなっても
何かの方法で意思疎通さえできりゃいいやーみたいな感じ。
なので、その時も「これからが正念場やで、がんばりや~」ぐらいのノリでした。
でも次の日の朝。
出社して1時間も経たない頃に母から電話があって
「脳幹がやられてる」「もう助からない」という事を聞きました。
朝から病院に呼ばれてそう告げられたらしい。
それまでは「どうにかなる」と思ってたので
初めて「もうアカンのか」と覚悟した時でした。
予想以上に脳の腫れがひどくて
悪い方に悪い方に転がっていった感じです。
そして、それまではICUに入ってたけど個室へ移動する事になりました。
いい意味ではないICUからの移動…
手術中、ヒマつぶしに入院のパンフレットを見て
「個室キレイやな~、広っ!高っ!」と他人事のように言ってたのに
まさかそこに入ろうとは…
専用(?)の部屋が空いてなくてそこの個室になったので
病院都合という事で1日17000円の差額はかからないらしい。
バス・トイレ・キッチンまでついてる特別室。
これ以上ゼイタクは言えない快適なお部屋です。
これが間取り。(病院HPより拝借)
何の因果か、部屋番号は父の誕生日と同じ…
母から電話があった直後そのまま早退して病院へ行ったのですが
パッと見は昨晩と変わらない姿の父が寝てました。
血圧が不安定で常に鳴ってる機械のアラーム音に
コムギを産んだ時のNICUを思い出したり。
薬の調節でそのうち血圧は落ち着いたけど
この後どれくらい持つのかは何とも言えない状態でした。
1日かもしれないし、3週間かもしれない。
確実なのはもう目を覚ます事はないという現実。
脳幹がダメになってるので自発呼吸もないし
瞳孔もほとんど開いてるとの事です。
ちなみにこれを書いてる今(10/19夜)は一応落ち着いてます。
子供たちのお迎えがあるのでこの日は夕方帰ったけど
家の最寄り駅を出た時のいつもと変わらない光景を見た時は
「夢でも見てたのかな?」という感覚でした。
この先どういう経過をたどるんだろう…
「父親の死」に続きます。
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