児童精神科受診、7月の話
2016年9月11日(日)22:31 0
コムギの問題(6歳)
もう7月末の話になりますが、児童精神科の病院に行ってきました。
最近は困りごとばかりブログに綴ってますが
この時は日常がまわらないほど悩んでたわけではないし
「いきいき」でのトラブルもあまりない時期でした。
なので、その事を踏まえた上で綴っていきます。
ほんとは6月に一度受診して発達検査の予約を夏休み中に取るという話だったけど
気が付けば夏休み~…
まぁ、保険証がない時期もあったので
それで予約しずらかったというのもあります。
なので、発達検査の予約をする気満々で行ったのですが、
というか、むしろそれが目的で行ったようなもんですが
結果的に今すぐ必要ではないという判断からしばらく見送る事になりました。
必要に迫られてるならともかく、
知能的な遅れがない事は確実で
何かの判断の為に必要という状況でもない。
1年生で受けるのも曖昧な数値が出る事もあったりで
必要に迫られてないなら様子を見つつ方針を決めたいという話でした。
ちなみに私はどういう結果が出るか見たい、
数値化されたものや特徴を知りたいという希望は伝えましたが
その上で言われたのが上記の事です。
コムギの現状ですが、
この時は特に大きな問題はありませんでした。
保育所に比べて「待つ」「ガマンする」「譲る」という場面が少ないせいか
大きなトラブルもなく友達関係はそこそこ良好。
勉強もついていけてる。
むしろ意欲的で先取りしてるくらい。
癇癪も年齢と共に落ち着いてきてて
叫んだり怒鳴ったりするのはしょっちゅうあるものの
長時間喚き散らしたり泣き叫び続ける事はなくなりました。
環境の違いなのか成長によるものなのか
これまで一番の悩みであった部分は少し改善しつつあります。
しかし、逆に別の部分がひどくなってきてる。
・気が散りすぎる
・興味がない事はすぐ忘れる、集中できない
・忘れ物、失くし物が多すぎる
情緒の部分というよりはADHD的な要素が表立ってます。
(多動はないので正確にはADDという表現が正しいと思うけど)
会話の中で「ADHDって聞いた事ある?」という話も出ました。
多少は誰にでもあると言えばある事だけど
見てて「脳みそ大丈夫か?」と思う程異様な事もあったりするので
ADD的要素は確実にあるんだろうなーとは思ってましたが。
自閉的要素は成長と共に軽減する事もあるけど
こっちの部分は後々問題になる事が多いそうです。
先生はコムギにいろいろ質問をしながら
「専門職が向いてるタイプやでー」
「ボクと似てるわー、まぁ、だからこういう仕事してるんやろうけどなぁ」
「理系男子やな」
とプラス要素ばかり言ってました。
たしかに理系男子です。
かなり端折ってるので伝わりにくいと思いますが
コムギに共感してくれてる部分が多く、
私が「困ってる部分」として挙げてる部分も「そこは長所でもあるんですよ」と。
日常のルーチンという部分を外せばたしかにその通り。
という私も同じタイプです。
話をしてても何かと過去の自分と被る部分があり
「まぁ、私もそうなんですけどね…」と思わず口から出てしまう。
そしたら「あぁ、そういえばおかあさんはホームページ作ってるんでしたよね。
じゃあよくわかるでしょ?」と。
はい、よくわかります。
でもだからこそどう対応していいのかわかりません。
(ちなみにデザイナーではありません。コーダーです)
特に声を荒げたわけでもなく淡々と話してたものの
「おかあさん、落ち着いてや」と。
私の心理を読まれてる気がしました。
過去は私自身もコムギの立場だったけど今は親です。
どうしても親目線で考えてしまう。
私の頭の固さや固定観念もあると思うけど
「最低限こうなってほしい」というラインもあるのです。
というのも、大人になっていろいろ困ってます。
仕事でも日常でも失敗だらけです。
他の人が当たり前にこなす事も出来ません。
いい加減で期限を守らず金銭面では社会的な信用を失いかけた事が過去に2度あります。
仕事では絶対ミスをしまいと気を付けて確認作業をしているつもりでも
当たり前のようにケアレスミスをします。
後になって「何でそこ気づかなかったの?」と思うような簡単な部分なのに。
いろいろな事を想定する柔軟性に欠けるんですよね。
それに加えてコミュニケーションの問題。
まぁ、コミュニケーションの問題は「人見知り」で片付けてしまえる事もあるし
「コミュ障で~」と自虐的に笑いにもっていったりもしてますが
作業的な部分はそうはいきません。
ミスだけじゃなく、複数やる事があれば脳内パニックです。
順序立てて行動できません。
だからこそコムギにはこなす術を身に着けてほしいと思ってて…
でもある程度の対策を取る事は出来たとしても
今無理やり押し付けたところで何か変わるわけでない。
というか、むしろマイナス。
ふと思えばコムギに出来ない事を押し付けてるだけなのかも…と。
極端すぎる例を出せば、目がすごく悪い子に
「じっくりしっかり見たらちゃんと見えるよ!」と言ってるような。
37歳になった私でも出来ない事を6歳の我が子に求めてるわけで。
「忘れ物しても死なへん」
「手伝ったってもいいんやで」
と児童精神科の先生は言うけど、その柔軟さが私にはありません。
「こうなってほしい」「積み重ねが大事」「言い聞かせればいつかわかってくれる」
「甘やかしたら出来ない子になる」「自分で出来る事は必ず自分で」
という部分からどうしても抜け出せません。
子育てに対する意識を考え直す必要があるのかも。
と、この時はブレにブレまくりました。
今はそんな事を考える余裕すらなくなってますが…
私はどうしてもマイナスな部分や困ってる部分ばかりに目がいってしまうけど
先生は「ここは長所と思ってあげてください」と言います。
たしかにそうかもしれない。
先生の言うことはよくわかる。
そのほうが長所を伸ばしてあげれるのはアホな私でも理解できます。
でも親としては最低限ちゃんと出来るようになってほしいし、
人の気持ちを理解してほしいと願ってしまう。
何も知らない人は「まだ小さいからしゃーないよー」とか言うけど
このタイプの子は大きくなっても変わらないと思ってます。
小さいが故に出来ないわけじゃない。
現にこういう部分は2~3歳の頃から成長がまったく見られません。
脳みそがそういう造りなんです。
コムギの場合、一般的な発達障害児の例と違うのは本人がまったく困ってない事。
良くも悪くも客観的に見る事が出来なくて
一見繊細に見えてかなり鈍感です。
出来ないことも本人が何も困ってないのです。
だから「どうせオレなんか…」というのもまったくありません。
普通だったら傷付くような出来事も見てて異様なほどケロッとしてます。
なので他人の気持ちも理解できません。
思い通りにいかない事ことめんどくさい事だけには人一倍敏感だけど…
これはもう1ヶ月以上前の話ですが、この日は悩みました。
親としての当たり前に求めることがダメなのか?
そういう感情を捨てるのが正しいのか?と…
まぁ、答えも出ず考える余裕もないままきてるので
これに対してどうこう意見を述べる段階にもないですが。
でもひとつ思ったのは、コムギの為の受診ではなく
親のために受診なのかも…と感じました。
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